本日の一枚

2017/11/19


あ、見出しをつけるという機能を今発見しました。
なんかスクリプトとか知らないといろいろな機能とか使えないみたいだけど(見出しは*をつけるだけでよかった)、そんな裏ワザを知らなくても普通につかえるようになればいいのに。ぶうぶう。


お仕事をしているときは半分ぐらい音楽を聴いたりしている。でもクラシックでも何でも、一緒になって頭で音を追ってしまうので、集中したいときには無理。今まで愛聴していたのは毎日放送のありがとう浜村淳ですだったのだけど、ウェブラジオが禁止になってしまったのでCDばっかり聴いている。関西出身の身としては、浜村淳のうつくしい京都弁をきけないのはやっぱり悲しい。外国にいると、妙に日本語に対する感覚が研ぎ澄まされるのだけれども(といって自分の書いている日本語はどうしようもないんだけど)、浜村淳のしゃべりはうつくしい、よどみがない。あほなことでもおくが深い。文化財にするべき。浜村淳万歳。


浜村淳にかわっての今日の一枚はティモシー・ハッチェンスとCBCバンクーバーオーケストラのフルート協奏曲あれこれ「Concierto Pastoral」。かならずしも超一流じゃないのかもしれないけど(よく知らない)、結構素直な感じが好き。なぜか演奏を聴いてきっと若々しい青年に違いない!と思ったのにさっきウェブで調べたらえらい体格の良いおっさんだったのにはガッカリ。


もともとシャミナーデの「コンチェルティーノ」を練習しているときに、オーケストラ譜がどうなっているのかと思って買ってみたものだけれども、わたしの好きな1920-30年代ぐらいのフランス近代曲がたくさんはいっていて、このCDに入っていたガブリエル・フォーレの「ファンタジー」も自分のレパートリーになった。奇しくもどちらも当時のパリ音楽院の卒業課題曲だったそうなー。とかいって、結構まじめにフルートやっている人には王道の曲だよね、どっちも・・・。


シャミナーデはあの時代の女性の作曲家、っていうだけでもう好きになっちゃうけど、初めてこの曲を練習したときには、こんな素敵な音の流れを私も出せるのね!というだけで鳥肌がたっちゃったくらい。何か白黒のロマンス映画のような世界を自分で表現できる、っていうところが泣ける。(しかし村松フルートのウェブサイトには、この曲の出だしは「ぞうさん」に似ている・・・と色気のないことがかいてある!)


しかし何よりここでの大きな収穫は、ホアキン・ロドリンゴという作曲家のはっけん。最後のほうは盲目の作曲家となったスペイン人のじい様(もう死んでる)なのだけれど、これがめちゃめちゃかっこええ。フルートの曲はそんなに書いていないみたいなのだけど、このCDのタイトルにもなっている「Concierto Pastoral」は躍動感あふれる、哀愁ただよう、とにかくかっこええ曲。これを吹くのが長期的な目標。でも音がめちゃくちゃ飛ぶのと、高音域ばかりなので、きっと酸欠になる。基本練習を日々怠っている私には、楽譜をさわることさえいまだ憚られるのでありました。もう少し時間がかかりそう。


音楽をやっている割には、音楽を聴く幅がせまくて、好みが異様に限られているので、普通の人にとっては「なーんだそんなの知ってるよ」っていうこともあるかもしれないけど、自分にとっての新しい発見をした時は、やっぱりうれしい。